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生い立ち(ダンス以外のこと)

  • 執筆者の写真: kaitosaki401
    kaitosaki401
  • 9月2日
  • 読了時間: 3分

いつのまにかタンゴダンサーKaitoとして振る舞う時間の方が長くなり、

あの故郷から地続きで生きてきた、1人の人間としての豊嶋海斗を

生きる時間が年々少なくなってきている。


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せっかくnoteを始めてみたんだ。

いっそ普段のダンサーとしてのイメージやブランディングなんかは

置いといて生い立ちを書いてみようと思う。




生まれ

香川県の三豊市というところで生まれた。

母は沖縄の人で、父が香川県の人だった。4人兄弟の3番目。

実家はものすごく田舎で、最寄りのコンビニまで徒歩30分、

最寄り駅まで45分くらいかかる。


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子供時代はスポーツと自然遊びが好きだった。

おじいちゃんが庭に作ってくれたゴールネットでよくPKごっこをしていた。

あとは家のすぐ近くの山(というか家がほぼ山にあった)に行って、

木々を分け入って分け入って遭難ギリギリを攻めるチキンレースをしたりしていた。




中学、高校時代

中高は普通の公立の学校に進んで、陸上部に所属した。

種目は三段跳びで、自己ベストは14m45cmだったと思う。


中高で取り組んだことがもう一つ。

生徒会活動だ。

生徒会長としてイベントで挨拶したり、地域の行事に参加したりしていた。


中高時代の俺は猛烈に「意識高い系」で、

自分のことを西野亮廣と中田敦彦を足してホリエモンで割った

カクテルだと錯覚していた。


中学の時なんか朝読書の時間でみんなが小説を読む中、

『20代で群れから抜け出すために顰蹙を買っても口にしておきたい100の言葉』

という自己啓発本を読んでいた。

このような消したい黒歴史が多いのが、中高時代の特徴である。


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浪人時代

意識高いくせに肝心の勉強はしなかったため、大学に落ちた。

10代で群れから抜け出すことになったのだから、自己啓発本のおかげだろう。


実家は裕福ではなかったし、4人も兄弟がいるので、

現役で受験するのは国公立だけにしていて

(たしか親じゃなくて姉に『国公立にしときや』って言われた気がする。)

私立の滑り止めはなかった。


せっかく一年浪人するのなら、自分が本当に行きたいところを

第一志望にしようと思って、親にお願いして

早稲田大学を目指すことにした。


浪人生活はそれなりに楽しかった。

朝5時から8時までうどん屋さんで仕込みのバイトをして、

まかないを食べてから地元の自習塾に向かい、

夜の8時くらいまで自習する生活を続けた。


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大学時代

一年の浪人期間を経て無事早稲田大学に入学し、

文化構想学部というところで社会学や哲学、

文学なんかを広く浅く学んだ。


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入学当時は、ダンサーになるという選択肢など微塵もなく、

エリートサラリーマンになって、

夜は港区で東京カレンダー的デートをしてやろうと意気込んでいた。


ただ文学やら哲学というのは人を資本主義嫌いにするのだろう。

大学で学んでいくうちにそのような欲は消えていき、

今後の人生で何がしたいのかわからなくなっていった。


憧れの対象が東京都港区から、

アルゼンチンブエノスアイレスに移るのは大学3年の頃で、

その経緯は前回の記事に書いたとおりである。




結婚

ここ最近の人生のイベントとしては結婚があるが、

もうお腹一杯かと思うので結婚の話は

また別の機会に記事にしようと思う。


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